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花ケモノ

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椿の君

「椿の君」売女が客の男に入れあげるなんて話はそこいらじゅうにあった。名家の長男坊とか、商いのうまい男やもめや賭けも何でも遊びで上手くやるような、派手な服を着て飄々としてるのなんかはよく標的にされて死人が出たりした。ほとんどは女の方が死んで牢屋に入るのも女の方だった。いくら金を積んでも一度は買ってみたい花があった。己の御世とばかりの金を持って店先で広げても買わせてもらえずに、己の首と末代までの財産私財を失った男も幾人か。片田舎の花街に小さな娼家があって、こんなボロ家に咲く花のなんたるみごとなものか。一輪の花に積まれた金と首と。道中金はどこで散り散りになったのか、いつまでたっても娼家はボロ家のままだった。血を吸う花は美しく、思いがけず肥溜めみたいな所に咲くもんだと口々に、評判はたちまち四方に広まった。花を、じゅんといった。まるで穢れ一つない雪白の肌に、薄情な口元、切れ長の黒目は燃えるばかりの激しさを秘めていた。じゅんを買うには一つ条件があった。口外しないこと。初めから終わりまでじゅんのなんたる一つも墓場まで持っていく事、であった。じゅんを買うためには大変な信頼を、娼家の女主人とじゅんにさせねばならなかった。そのためにかかる金と心配りのなんと用意のいる事か。いくら金を用意したって一度でも疑いのある事には決して受け取ってはもらえなかった。それなのにじゅんには客が絶えず、口外する者もなかった。ある噂があった。じゅんは察するに、以前は男ではなかった、と。なぜあれはあんなに俺の事が解るのだ、一昨日など一度も触れずに酌を交わしただけで帰ってきてしまった。いやぁ、晴れやかな心持でね。と言った男が発端で、噂は少しの間広まった。すぐの後に発端の男が額に十字の切り傷で、川にうつぶせに死んでいるのが見つかってますます名高い花じゅんの値段は跳ね上がり、口外する者の一人もいなくなった。元々めったにお目にかかれない花であったから、これを買える事がお役人達のひとつの腕競べのようにさえなった。そのじゅんが、枯れてはおらぬのにもう売りに出されず娼家の二階に病に伏しているらしいと長らくじゅんの客であった一人の若いお役人が、いずみという最近入った売女の身の回りのやっかいを引き受けている女の童に聞いた時、それはもうじゅんは買いにいらしてもお相手は出来ないけれど、新しいのが入りましたという知らせだろう、とおのずと解った。こんな事わざわざ言いに来るのだもの、俺は結構あの店、というかじゅんに頼りにされてんだな、なにが新しい売女よ、かわいい奴め。と思って若いお役人はちょっと顔をほころばせて、わざわざ言いにくんなよ。と女の童に駄賃と、こっちだって黙っててやるからじゅんにも言っとくように、と白紙に包んだ金をたっぷり渡した。「あんたは何だって毎回そうなんだ。こっちだって苦労、苦心して手に入れてやってるのに毎回こんなにされたんじゃ迷惑だよ!」女主人はボロボロに踏みしだかれたように潰れた椿を持っていずみに訴えかけた。「あんたがあすこのこれじゃなきゃ働かないってうるさいもんだからこっちだってね。あんたの事がかわいくないわけじゃないんだ。だけど骨おって心くだいて金まで積んで持ってきて毎回これで、日に何度も。結局こんなにするんじゃ別になんの花だって良いじゃないか。」あんたは替えがきかないけどさ、そう言って女主人は卑しい上目遣いでいずみを見た。「他に欲しいもんはないのかい。こっちだって薄給でこき使わせて悪い気持ちくらいあるんだよ。」すがるように女主人が言う理由を、娼家の誰もが知っていた。いずみは振り返り見ることもしないで背を向けたままいつもながらにつん、とした声で言った。「他に欲しいもんなんてありません。」「あんたをまるごとそっくり他所へだって売れるんだよ、こっちは。」「そんならお給料から椿の分引いてください。あたしの持ち物なんていくらにもなんないけど、それもそっくり全部あげます。おかみさんの好きにして。他の人の分だってそれで働いてあげます。」「それじゃあ困るんだよ、こっちだって。さっきだって言ったけど、わたしだってあんたのことが」「それじゃあ今までどおりでいいじゃありませんか。」人を待たせてあります。と冷たい口調と流し目で女主人を見やったいずみの瞳に明らかな情念の炎が燃えていた。新しい椿を少し慎重に選んで髪に挿し、スタスタと部屋を出て行ってしまった。「人、だってさ。」女主人は溜息をついて潰れた椿を捨てに自分も部屋を出た。いずみの椿というのは、彼女の黒くまっすぐで豊かな髪に挿された真紅に真ん中の黄色が慎ましいみごとなもので、染物問屋の脇の河原に群れになって咲くものを、毎日いずみのやっかいをする女の童が使いに出てそこの女中からこっそりいくつか買っているのであった。いずみは毎晩それを髪に挿して客前に出ているのであるがどういう訳か、いずみにでも椿にでも客が触れる度自分でぐちゃぐちゃに崩してしまうのだ。ある一人の客を除いて。その客が例の人、である。若い彼は商家の長男坊で一度お役人達と顔を出してからここへ通うようになった。足しげく通うようになったのは最近で、いつも一人で来る。いずみだけをかわいがっているようだった。年の頃は幾つかいずみの年上か、一見地味で目立たず口数も少ない。とても好色な男には見えなかったが、ふとした拍子に何か異様な色気を感じさせる青年であった。「こんばんは。おぉ、今日もいい椿だね。とてもきれいだ。」決まってそう言って椿を触っていずみには指一本触れなかった。たいした会話も交わさず静かに笑って酒を飲み、一瞬暗いこわい目をしてそれを伏し、「そんじゃさよなら。」と言って出て行くのであった。男が出て行った後いずみは髪に挿した椿を花瓶へ移して自分の寝所へ持って帰って枯れるまで世話をした。ささやかな愛情のしるしが、日ごとに増えていく度、男の暗いこわい目は深く暗くもっと大きなこわさを含んだ。いずみは口数が減ってやせ細り、溜息ももらさなくなった。妖麗な美しさがいずみの内側から匂いたつように外観へ咲き誇った。それがいずみをかなしみへ追いやってわが身の不幸を思わせる程彼女は美しくなり、積まれる金はうずたかく、娼家の女主人をどんどん太らせていった。太る度女主人は横柄な口をきいて、椿のない季節には帳簿付けの方へまわすという約束も、守ってもらえそうになかった。以前のいずみであれば頭の回転の良さと腕っ節の強い口のきき方でどうにかやりこめてやれたものを。今はその元気もなく、あの彼とのひとときは一層二人に幸福をもたらした。あの幸福の後のなんとみじめでむなしいことか。「あのねぇ、いずみちゃん。ちょっと相談なんだけど。」こと葉はじゅんより前に入った売女であったが、商いの腕を買われて今はこのボロ娼家の経営の方へまわされていた。「じゅんちゃんがね、お医者が世話が出来なくなったの。お医者の方がじゅんちゃんに耐えられないのよ。顔へ包帯巻いてるんだけど、それでもだめなの。じゅんちゃん、いずみちゃんの事すきでしょう。面倒見てって、言ってくれって頼まれたのよ。」その頃いずみは病に伏したじゅんと同じ運命を辿りつつあった。じゅんは病に伏してから一層美しくなっていった。「においがね、だめになっちゃったの。それもお医者の方がね。」身体の底から何かいやらしい香のようなにおいがするのだ。こと葉が本物の香を焚き染めて消そうとしてもまったく効かなかった。「これでやっと私もあのひとの所へ行けます。って言ってねぇ。それからどんどん身体が弱って。かわりにどっかのえらいお妃さん、女神さまみたいにきれいになって。あのにおいが強くなってくのよ。それでお医者が変になるから診れないって言ってね。もう何人にも診てもらったけど、あとは死ぬの待つだけだって言うから。お医者が診れないって言うんじゃ、しょうがないでしょう。あと少し、身の回りの世話はいずみちゃんが良いんだって言って聞かないのよ。一日つきっきりにならなきゃいけないから、仕事の方はもう出なくて良いよ。ね、良い条件でしょう。」こと葉が言い終えるや否やいずみはこと葉の腕へすがって首を振り、涙ながらに訴えた。「困ります。困ります、私お仕事させてもらえないんじゃあまるで生きてる意味がないもの。」「ちょっといずみちゃん。耳打ちさせてね。」こと葉はいずみを抱きかかえるように部屋の隅の方へ引っ張っていずみの耳元を手で隠しながらささやいた。「あの彼のことでしょう、気にしてるのは。じゅんちゃんがね、どうしても離縁させないでって頼むのよ。そいでね、どうにか逃げられるように手配してあげる。おかみさんの方は私が黙らせるくらいの事はいくらだってできるから、今あの人えらく調子に乗ってるしね。私だって長いし、じゅんちゃんのこともあるし、ずっと、そっくりひっくり返してやるつもりだったんだもの。じゅんちゃんのお葬式の後、そのまま彼と逃げなさい。手立てはもう半分してあるから、あともう少し。彼に全部託すから、言うことちゃんと聞いてね。そっくりそのまま、言うとおりにね。あれは頭の良い好青年だよ。あんただってかわいそうに。わるさのひとつも知らないのに。あと、二日くらいだって。じゅんちゃんが死んじゃうの。あのひと自分でそう言うからきっとそうでしょう。」言ってこと葉は一息ついてこう続けた。「いずみちゃん、じゅんちゃんの部屋から一歩も出ちゃだめよ。お葬式の時はじゅんちゃんが渡した服着て、後はじゅんちゃんがこれから伝える通り、ちゃんとやんのよ。」いずみから離れてこと葉はすぐそっぽを向いた。泣いているのだとわかった。じゅんはいずみと似たように恋におちて、運悪く相手と父親がじゅんの取り合いをして彼女の一生のひとは、あらぬ罪をきせられて首をはねられた。それからしばらく経った後、じゅんは病に伏した。ずっと心のない人形のようだったけど、やっと死ぬとわかったら、なんだか子供のように毎日うれしそうにしてね。こと葉は振り返らずにつぶやくようにそう言った。まるでじゅんの母親のようだといずみは思った。二日後、じゅんの葬儀の後娼家の中は大変な騒ぎになって女主人は大いに荒れた。いずみが逃げたのだ。そして店はこと葉の物になり、こと葉はまったく別の商いの店へ変え、こぼれ落ちた売女の一人も出なかった。女主人さえ終生こと葉の面倒になった。いずみはこと葉の言いつけ通り便りの一通もよこさなかった。こと葉は、いずみがどこかでつつましくても幸せに生きていることをいつも祈っていたという。便りのないのがその証拠だね。というのが口癖だったらしい。

こと葉

「こと葉」あの日こと葉はこれから客前に出るじゅんの身支度を手伝おうとじゅんの寝所を訪ねた。襖の前で声をかけると、じゅんがいつものスッとした声でどうぞ、と言うのでなるべく静かにこと葉は襖を開けた。窓辺に据え付けられた小さな机の上にガラスの華奢で小ぶりな一輪挿しがあって、一本のまっすぐで質素な花が活けてあった。じゅんはその前に普段と変わりなく背すじを伸ばしてこと葉の方へ背を向けて座っていた。夕刻の斜陽がするどくこと葉の目をついた。髪を結い上げたじゅんの白いうなじが逆光の温かな色で縁取られてやわらかそうに白く、あわく輝いていた。相も変わらずおくれ毛一つも出さずに結い上げていた。「じゅんちゃん、たまには身支度手伝わせてもらいたくてね。ここんとこ、忙しくさせてもらって、私じゅんちゃんとあんまり顔合わせられなかったから。」このところのこと葉といえばなんだかもう嫌気とうんざりで何もかも手放してしまいたかった。妙に穏やかな心持でいる自分を見ないように、店のことに精を出していた。できるだけ音を立てないようにじゅんの隣へこと葉は腰を下ろし、夕日に照らされたじゅんの横顔をはっきりと見た。「ことちゃん、お願いがあるの。」じゅんは言い終えてこと葉のひざへ自分の手を覆い被せるような形で置いてこう言った。「わたしの顔潰してくれる?」文鎮だった。丸くて持ち手の付いたどこにでもある安物の文鎮であった。こと葉は息が詰まってじゅんを見つめてしまった。「じゅんちゃん、私には出来ない」やっと出た声はつぶれるように、ほとんどが熱っぽい息の、ないまぜの感情が音になって出たようなものだった。じゅんはいたく冷たい目をしていた。確かに血は通っているのに、まるで陶器の丸い玉のような目だった。「ことちゃんは、もうわたしのお願いは聞いてくれないようになったんだね。」そう言ってじゅんはこと葉のひざの上の文鎮から手を離し、また窓の方へ顔を向けた。じゅんの手は熱っぽくやわらかですべらかさも変わらずこと葉は、苦しいくやしさに自分の腰の横へだらりと項垂れた腕の先できつく拳をにぎった。「わたしはいつも、ことちゃんの不器量がうらやましい。」じゅんの声はいつもと変わりなかった。あれからすぐじゅんは病に伏して旅支度をこと葉にあれこれ頼む様はまるで童女そのものだった。日に日に弱っていくじゅんを遊ばせるようにかいがいしく世話しながら「必ず近く、ここの女たちみんな、私が自由にしてやる。」こと葉はそう固く誓ったのであった。

じゅん

「じゅん」あぁ、このにおいか。じゅんの寝所を訪ねたいずみは襖を開けた瞬間にすぐそれとわかった。「いずみちゃん、よく来てくれたね。」布団へ座っているじゅんの腰の辺りに幾重にか重ねられた座布団と着物とおぼしき物を見ていずみは、こと葉は随分かいがいしくじゅんの面倒を見ているのだとわかった。じゅんの隣へ向かい合うように腰掛けたいずみの顔をじゅんはほほ笑みをたたえた顔で弱弱しく見つめ、すきとおるような声で言った。「いずみちゃん、あんた自分で選んでここへ来たんだね。この先、どうするにせよ、いずみちゃんのすきにして良いんだよ。」いずみは何とも言えない気持ちになって只、じゅんの瞳を見つめていた。暖かな、穏やかさが確かにあるような気がして、それだけで救われたような気持ちになった自分を、少し申し訳なく思ったのだ。「わたしね、ここへ来てからちょっとの間は、全部がみじめで、みんなのことが本当にいやらしくて大きらいだったのよ。ずっと、どんな事もいやで仕方なくてね。」じゅんは布団の上で置き去りになった自分の両の手の少し先、ひざの辺りだろうか、遠くを見ていた。声はいずみが思ったよりもずっと力強い確かさを持っていた。「それがだんだん、まずい風になってね、全部受け入れようと思ったの。そうしないと、自分がなんだか化けものみたいに思えて仕方なかったのよ。もう考えなくて良いように、自分でなぐさめたのね。色々なこと、あっち、こっちって決めないでいたの。お金だけはいくらでも稼いだって、わたしには許されるでしょう。って思ったりしてね。ある時ね、お客と話してたらこんな事言うのよ。商いの人だったと思う。承太郎だったか何だったか。とにかく承、っていう字が入っていてね。何となしに名前の話になって、由来を聞いたのよ。そうしたら、「さぁ、承ります。って意味でしょう。家の仕事がそうだから。」って言ってね。すぐ後に、あのひとに会ったのよ。」いずみはじゅんを見つめたままふるえるような重たい声で言った。「じゅんさん、じゅんさんのひとはどんな方なんです?」じゅんはいずみを見ないままにっこり笑い、それをまたすぐに引っ込めてこう口にした。「それは内緒。」いずみは少しほっとして自分のひざの上でもてあそんでいた自分の両の手を見た。「・・・にくらしくてね。ことちゃんだけが救いだったのに、ことちゃんのこともうらめくなって、苦しかった。」じゅんはいずみの手に自分の手を覆い被せるようにして取っていずみの目を見つめた。「ことちゃんにね、恩返しの気持ちもあるのよ。いずみちゃんの事。でも、人の言うこと聞いちゃだめよ。こんなんなったって、だれかのこと恋するなんてね、わたしはいずみちゃんのことすきよ。ことちゃんもね。でもそれはわたしのことだから、いずみちゃんに渡せるものは全部いずみちゃんに渡すけど、後は好きになさい。」いずみはじゅんを見つめた。温かかった。やわらかな朝の輝きが、確かにここにあるような気がしていた。そして同時に、おそろしさがいずみの背後から迫っているような気がして、じゅんの瞳を、すがるように見つめた。「いずみちゃん、目の前にこんなきれいな砂糖菓子があったって、真っ白いご飯があったってね、のどを通らないんじゃ、無いのと一緒なの。あの窓の外の太陽や、この小さな花だってね、時々は、わたしをなぐさめてくれたこともあったよ。いずみちゃんが、わたしをやさしい気持ちにしてくれたことだって、幾度もあった。だからあんたはどんなんなったって、そういうもの求めていいんだ。それがある方へいきなさい。あると思う方へ。」おしまい。