じゅん

「じゅん」

あぁ、このにおいか。じゅんの寝所を訪ねたいずみは襖を開けた瞬間にすぐそれとわかった。「いずみちゃん、よく来てくれたね。」布団へ座っているじゅんの腰の辺りに幾重にか重ねられた座布団と着物とおぼしき物を見ていずみは、こと葉は随分かいがいしくじゅんの面倒を見ているのだとわかった。じゅんの隣へ向かい合うように腰掛けたいずみの顔をじゅんはほほ笑みをたたえた顔で弱弱しく見つめ、すきとおるような声で言った。「いずみちゃん、あんた自分で選んでここへ来たんだね。この先、どうするにせよ、いずみちゃんのすきにして良いんだよ。」いずみは何とも言えない気持ちになって只、じゅんの瞳を見つめていた。暖かな、穏やかさが確かにあるような気がして、それだけで救われたような気持ちになった自分を、少し申し訳なく思ったのだ。「わたしね、ここへ来てからちょっとの間は、全部がみじめで、みんなのことが本当にいやらしくて大きらいだったのよ。ずっと、どんな事もいやで仕方なくてね。」じゅんは布団の上で置き去りになった自分の両の手の少し先、ひざの辺りだろうか、遠くを見ていた。声はいずみが思ったよりもずっと力強い確かさを持っていた。「それがだんだん、まずい風になってね、全部受け入れようと思ったの。そうしないと、自分がなんだか化けものみたいに思えて仕方なかったのよ。もう考えなくて良いように、自分でなぐさめたのね。色々なこと、あっち、こっちって決めないでいたの。お金だけはいくらでも稼いだって、わたしには許されるでしょう。って思ったりしてね。ある時ね、お客と話してたらこんな事言うのよ。商いの人だったと思う。承太郎だったか何だったか。とにかく承、っていう字が入っていてね。何となしに名前の話になって、由来を聞いたのよ。そうしたら、「さぁ、承ります。って意味でしょう。家の仕事がそうだから。」って言ってね。すぐ後に、あのひとに会ったのよ。」いずみはじゅんを見つめたままふるえるような重たい声で言った。「じゅんさん、じゅんさんのひとはどんな方なんです?」じゅんはいずみを見ないままにっこり笑い、それをまたすぐに引っ込めてこう口にした。「それは内緒。」いずみは少しほっとして自分のひざの上でもてあそんでいた自分の両の手を見た。「・・・にくらしくてね。ことちゃんだけが救いだったのに、ことちゃんのこともうらめくなって、苦しかった。」じゅんはいずみの手に自分の手を覆い被せるようにして取っていずみの目を見つめた。「ことちゃんにね、恩返しの気持ちもあるのよ。いずみちゃんの事。でも、人の言うこと聞いちゃだめよ。こんなんなったって、だれかのこと恋するなんてね、わたしはいずみちゃんのことすきよ。ことちゃんもね。でもそれはわたしのことだから、いずみちゃんに渡せるものは全部いずみちゃんに渡すけど、後は好きになさい。」いずみはじゅんを見つめた。温かかった。やわらかな朝の輝きが、確かにここにあるような気がしていた。そして同時に、おそろしさがいずみの背後から迫っているような気がして、じゅんの瞳を、すがるように見つめた。

「いずみちゃん、目の前にこんなきれいな砂糖菓子があったって、真っ白いご飯があったってね、のどを通らないんじゃ、無いのと一緒なの。あの窓の外の太陽や、この小さな花だってね、時々は、わたしをなぐさめてくれたこともあったよ。いずみちゃんが、わたしをやさしい気持ちにしてくれたことだって、幾度もあった。だからあんたはどんなんなったって、そういうもの求めていいんだ。それがある方へいきなさい。あると思う方へ。」

おしまい。

花ケモノ

花ケモノ お洋服と雑貨のお店

0コメント

  • 1000 / 1000