「藤沢マナ」

「おれがあの場所、養護施設に居た時の話だけど、両親が預けた時はまだ物心もついてなくてね。もうおれだって良い年齢までこうして生きてこれたし、今さら親にうんぬん言いたい事もないんだ。この年までこうしていられたって事は、おれが例えばどんなに全部がひどくて、何も与えてもらえなかったとしか思えない人間に成長していたとしてもいつも、本当にひとかけらの愛護も慈悲も只のひとつもかけてもらった事が無いなんてあり得ない話だからね。だけど、おれにはあの場所は大分つらかった。物心ついた時には小さい子や、赤ちゃんの泣き声がしょっちゅうしてたし夜中に、大声で泣きながら駆け込んでくる女の人もいたし、年頃になった男の子や女の子がどんどん変わっていくのを、時にわるい方へ、ずっと幼い頃からそれも何人も見てるのがある時急にだめになってね。元々、すごくいろんな事が気になる性分で、人よりいろんな事を気がつくのも少し早かったから、おれだけが知ってるだれかの、秘密めいた事、そういう事をだれにも言えずにいくつか持ってたりしてね。そいで、そういうのは、どこへいても、大人になってくと自然に増えていくでしょ、例え自分の経験した事でなくても。何となく、こっちが気がついちゃうと、あっちもおれの事警戒したりしてね。だけど、だれにも言えない秘密なんてみんないくらでもあるから、全部言わないでいるのがおれには普通なんだよ。今でも、もちろん。あの場所にいるだれもが、おれからおれを少しずつ削り取っていくような気がしだした時、へんなゆめを見るようになってね。ゆめを見ないゆめを見るようになったんだよ。詳細に言うとだね、黒い画面、つまり何も映し出されないゆめを、一晩中眠ってる間中、もちろん何回かは途切れたりする。ふいに、起きた時とか。そういう時は。そのゆめを見るようになってね。それが一月か、二月くらい続いたかな。何食べても苦痛だから、自分で少し心配になってきてね。だけど、人といる時は普段と変わりなく、話したり、笑ったりも出来たから、あんまり心配もされなくて、その時偶然しばらく会ってなかった君塚さんと再会してね。何思ったんだか。君塚さんが養護施設の人におれを出来るだけ早く、隔離した方が良いって言うんだよ。一人暮らしの方がまだ良いって。養護施設の人がさんざ困ってね。君塚さん、はっきり言って他人だしね。又、何勘ぐったんだか養護施設の人がおれを尋問するから、だけど元々あんまり自分の話をするのも得意じゃなくて、ほら、前に言ったでしょう。あんまり苦しい時、首から下切り離して人前で泣いたりしないように、胸へ言葉が、気持ちが頭へ、繰り返し落下したり、昇ったりしないように、そういうイメージトレーニングしてたって。なのにあんまり詰問されるからこまってね、ついに正直に話したんだよ。ゆめの話はしないよ。食事がとれないっていうのと、少しでも食べた時には、それも全部出ちゃうのが三月続いてるって。それがいやでたまらないだけですって言ったとたんおれ、鼻血出して寝込んじゃってね、知恵熱だよ。しばらく君塚さんに預かってもらって、少しよくなってからあの家、ほら、おまえがいつも来てたあの家に移してもらったんだよ。そいで、まだ色々あってね、君塚さんの所へ行ったり、色々してた時、一人で遊んでたらおまえに会ったんだよ。」

何かそれから、毎日少しずつ自分の中へおれはあたらしい潮流みたいなものがわいてくるのを感じてた。のどの辺りから、胸の辺りから。初めてだれかが自分の近くへいないのが苦しかったしみじめでくやしかった。その時の涙は又、あつくてあたたかかった。その潮流はおれのつま先まで冷たくなった身体を、すみずみまであたためて軽くしてくれた。どんなに血が凍てついていても、心臓はあつくて熱でそれを押し流してくれた。ほとんどが苦しくてかなしいことの方が多かったけど、あたらしくそれがわいてくる限りおれは生きていられるのだと確信してた。それまで積み重ねてたにくらしい気持ちとか、いやな事を、愛情とか灯りに似たもので覆い隠そうとした時、それが自分の内部で完成されたと思った時、潮流と一緒に、おれからすべてが抜け落ちたのを、分かったのは少し経ってからだった。初めて、本当におれは失くしたのだと知った。おまえといた日々は、たとえそれがどんな形容しがたい苦しみを、おれたちにもたらしたとしても、そこにしかおれはあり得ないのだと今なら分かるよ。そして又、おれは生き延びるのだろうと、それも又、確信めいた気持ちでいる。だってあの時、おれたちは確かに、同じ心臓の鼓動の中へいたもの。

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