「眉目秀麗な快男子と藤沢マナ」

「君塚氏と快男子の父の思う所」

一人の青年がいた。彼はまぎれもなく眉目秀麗であった。うだるような暑さの夏、彼は一人で河川敷の土手の上をのろのろ歩いていたのだそうだ。何かと何かの間の、小休憩の時であったか。何しろ快男子である。大抵ぼんやりしどろもどろにどうでも良い事ばかり考えている。ふと気が付くと自分の足元にブルーシートのかたまりが落ちていた。それは何かを包んでいるらしく、もぞもぞ動きガサガサと音を立てていたのだそうだ。こんな暑い時、とろけそうなブルーシート、中に何かの生き物、考えるに、相当蒸して暑いに違いない。ここからは藤沢マナの言うところの、快男子の一つの"悪癖にも近い懐柔"である。唐突に興味が湧いたか、落ちてるものあらば何でも拾う、それにも近い。実を言うとこの土手の近辺の人間ならば中に何が入っているか当然のように知っていて、開封を試みる者など一人もいなかった。おそらくこの快男子も知ってはいたが一つの”悪癖にも近い懐柔”によってごく自然にブルーシートを開封した。ブルーシート一枚だもの。中に入っていた”生きもの”とすぐに目が合った。藤沢マナであった。快男子は臆することもなく別段侮蔑や、好奇のまなざしを向けるでもなく、挨拶をしてから、何してるの?と聞いた。その時、快男子の見るところによれば藤沢マナも別段何を気にする風でもなく教えてくれたのだそうだ。

ブルーシートの中へ包まって、それを日にかざしながら安全ピンの針先で一つ一つ正確に穴を開けていく。快男子が見たものはみごとな星空であったそうだ。それも、青空に近いブルーの、土と草のにおいのする、星空であったそうだ。

「だれもがマナを見ようとはしませんでした。」藤沢マナはごく小さな時から養護施設で生活していた。君塚氏は近所の寺の坊主で藤沢マナを幼少の頃よりよく知っていた。思春期のあたりからは、半分養父に近いようなたった一人の保護者だと藤沢マナは後に快男子に話したという。「あれは見るからに特殊な子供でした。明らかに成育不全のような小ささだし、痩せこけて肌はつやがなく皮膚は薄そうで目だけが黒々としていつもいっぱいに見ひらいているか、止まったように伏している。別にそういう経歴をただの一度だってもったことはありませんでした。彼の両親が本当に致し方なく、ごく小さな時に、養護施設へ預けてそのまま今の今まで一度も会うことなくあの場所にいたのですが、暴力のにおいがするのです。加害者ではなく、被害者の。藤沢マナは痛ましさを、普通の人間が思うる限りの痛ましさを、ひとつにまとめたような、そんな子供でした。」一度だけ自分なりに調べて母親を見に行った事があったそうだ。しかしそれは別人であったと。まるで見知った人ではなかったので、なんとなく父親を見に行くのはやめた。と君塚氏へ告白したのは藤沢マナが15歳の時であったらしい。「何でも一人で全部やろうとして、よく失敗していました。要領がまったく良いというわけでもないですから、努力だけは人一倍しているようでした。けれどほとんどの場合は報われませんでした。それで今に至るわけですが、あぁいう風にマナがするようになったのは高校生になったくらいの時からで、母親に会いに行った後でしょうか。彼は見違えるように色んな事を一人で、本当にこなせるようになっていきました。未だに見た目は子供のようですがあれはもう実際の年齢よりかははるかに大人です。失礼ですが息子さんよりも大人です。」君塚氏は快男子の父親へ謙遜を持って、客観的に藤沢マナの事をそう伝えた。少し苦笑気味な君塚氏に、良い青年だな、と快男子の父親は静かに思うのであった。「君塚君はどこか悪いのかね。いや、だれかに聞いたのではなく何となく、仕事柄そんな気がするだけなんだが。」快男子の父親は製薬会社の社長であった。「お察しの通りです。長らく病を抱えています。伝染病です。今はほとんど安定していますが、大切な人や友人の幾人かは同じ病気で亡くなった者もいます。」快男子の父親は君塚氏の相変わらずの苦笑にも似たほほ笑みを見ながら、彼の生活や人生における病からの負担を思い、重々に同情した。しかし、それはあくまで医者と同等の目線であった。「息子さんと藤沢マナですが、二人は大変に戸惑っています。俺は実際にマナに同性愛者なのか、どうなのかを聞いたのです。そうしたら分からないと言いました。息子さんにも分からないそうです。だから二人は戸惑っているのです。」少し長い沈黙の間に、五時を知らせる鐘の音が響いた。再び口を開いたのは君塚氏の方であった。「マナの奇行をお聞きになった事はありますか?あらゆる行動がありましたがその一つでも。」快男子の父親は頷いた。ただ一度首を縦に振っただけであった。「先ほど話したようにあれは難しい子です。何しろだれもがマナを直視できなかったのですから。その、あらゆる事を一人でこなし始めた調度その頃から奇行が始まったのです。奇行と言ってもささやかなもので、決して物を壊したり、だれかを傷付けたりするものではなかったですから放っておいたのですが、あれは彼にとっての救いを求める行動だったのです。息子さんから聞いたのですが、マナに対して自分は言いようのない気持ちを抱いていると、あなたに打ち明けた時、あなたは息子さんの”それ”は神があなたに天罰を与えたのだろう、とそう仰ったそうですね。それをマナに言ったんだそうです。別にいやな気持ちでも、マナへの当てつけでもなく、ふと、口に出していたんだそうです。マナはすぐにこう答えたんだそうです。おまえは神さまに罰のひとつもうけさせてはもらえないんだね。と。マナもぼんやりした所のある子供ですから、何の気なしに言ったんでしょう。彼は今ひどく、それを後悔しています。今回のこの事故の、引き金のひとつを、自分が引かない訳があるまいと、しっかりと理解していますから。息子さんと藤沢マナは長らく奇妙な関係を築いています。二人は苦しんでいます。時に、人というのは特に若い人は、自身の危機に際したとき、あらゆる、自分のまわりに気が付く人間のいないであろう自身の危機に際した時、同じような危うさにいる人間と通わざるを得ない状況におのずと引き込まれる事があります。二人の間には確かに二人よりも大きなもの、言うなれば血潮に似たようなものでしょう。それが通じています。だから戸惑っているのです。その”大きなもの”に名前が付けられたとしたら、少しは二人は救われたのでしょうか。俺には分かりませんが・・・」快男子の父親は静かであった。声は重厚でまるで一つ一つが重さに満ちていた。「私には子供があと三人います。妻が随分前に先立ったのもご存知の通りでしょう。何故でしょうな、あれとは、今病院で眠っている息子の事ですが、あれと話しているとつい当てつけのように軽口をたたくのですよ。私の方が特に。詳しい事は今は言葉に出来ません。あれを、助けてやれるのは何だか、きっと君にはお解かりなのでしょうな。」快男子は父親と口論の後家を飛び出して”どこか”へ向かう途中、自身の運転するバイクでそのままガードレールに激突した。今はまだ病院で眠っている。藤沢マナへ一報を入れたのは快男子の兄であった。藤沢マナは君塚氏によって保護されていた。いたく真面目な顔で君塚氏はいつものように冷静に話した。「正直な所、今までの二人を見ていると息子さんがこのままの状態であればマナも大きな欠損はまぬがれないでしょう。欠損、冷たい言葉です。しかし人間に当てられた時あらゆる意味を含んでしまう。藤沢マナは彼にとっての最大の不幸は人を幸せに出来ないことです。彼はそれにしか痛みを感じません。だからあぁやって今まで存在の静寂を保ったまま生きてきました。息子さんはある一時マナといて本当に安息を得たように見えました。しかしそれが覆ろうとしています。マナはあなたの同意を求めています。もし、息子さんが目覚めてまだ、自分に安息を求めてくれるのなら、の話でしょうが。」

いつの間にか日はとっぷりと暮れて夜がはじまろうとしていた。突然スラリと茶の間の襖が開く音がして君塚氏と快男子の父親が襖の方へ視線を向けると藤沢マナが立っていた。君塚氏は立ち上がり早足で藤沢マナの方へ歩み寄ると静かに、ゆっくりと話しかけた。「マナ、どうした。目が覚めたか。今、」言いかけた君塚氏の懐の下をうまくすり抜けるようにして藤沢マナは茶の間へ入って今しがた二人が会話を交わしていた低いテーブルの下へ四つ敷かれた座布団の先程まで君塚氏が座っていた隣の座布団へいきなり座り込んだ。何も見ていないような目でじっと、自分の向かい側のテーブルの彼方を見つめていた。またすぐに君塚氏が早足で戻って来て何かを言いかけた時、快男子の父親の電話が甲高い音で鳴った。すぐに電話を取り、何やら短く会話を交わして電話を切り、少し震えた様子を見せて一息に息をつくと、君塚氏の方を見つめて又、一息にこう言った。「息子の目が覚めたようです。今、病院から連絡がありました。」快男子の父親は努めて厳しい声でそう言った。自分に向けられた厳しさであろう、瞳にわずかに涙をためていた。事故からおおよそ三日目の事であった。君塚氏は身じろぎもせず深く一息ついて肩の力を抜いた。快男子の父親はきっ、と藤沢マナに向き直り、声音も変えずにしかしゆっくりと、問いただすようにこう、口にした。

「今から病院に行くが君も行くかね、」

快男子の父親は肩を震わせていた。藤沢マナは視線も変えず、動作もないままにしっかり、こくりと頷いた。両の瞳から片方ずつ少し間をおくように、大粒の涙がこぼれていた。

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